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ポーランドの高校歴史教科書

2010年3月30日 コメントは受け付けていません

#各国の歴史教科書の違いというものを知りたかった。

#高校教育に組み込んで差し支えないものであると考える。

#検証可能な事実によって比較できなければ自国の立ち位置が明確にならない。

#そうでなければ全く根拠のない言論攻勢とのバランスを取りながら政治を行っていかなければならなくなる。

#政治家は国民が雇った政治代理人である。

#その国民が知らなければ政治の変化を期待するのは酷だ。

#200810#

書名:ポーランドの高校歴史教科書【現代史】 (世界の教科書シリーズ)

著者:アンジェイ ガルリツキ

訳者:渡辺 克義、田口 雅弘、吉岡 潤

出版社: 明石書店

ISBN-10: 4750321435

ISBN-13: 978-4750321431

発売日: 2005/7/26

「なぜ、歴史を学ぶのか。

歴史を知ったからといって日々の生活にいかほども役に立たず、

将来に向けて決断を下そうとする時にも参考にならないというのに。」

「まず、歴史を意識することが国家・民族を意識する重要な要素であるからである。

国家・民族意識を奪おうと狙った作戦が、

いつもその国家・民族の歴史を教えることを禁じることから始まっているのは偶然ではない。

まったく偽りの歴史が教えられることもあった。

歴史を奪われた国家・民族は緩い集合体となり、統治が容易となる。」

「教科書の執筆者は堂々と嘘を書き連ねているという自覚があり、

理路整然と繰り返し嘘を並べることで、

社会の歴史意識を歪められると思ったのだった。

ある程度まで、彼らの思うとおりであった。」

「すべての年号や人名を丸暗記せよというのではない。

それよりはるかに大切なのは、

歴史の流れ、つまり事件の原因と結果を理解することである。」

アンジェイ・ガルリツキ 序より

###■パール・ハーバーについての記述

「1941年12月7日、日本の航空機がハワイの米国軍港パール・ハーバーを攻撃したのである。

(中略)

ローズヴェルト大統領は日本に交戦状態に入ったことを宣言した。

3日後、第三帝国とイタリアが米国に宣戦布告した。戦争は地球規模に拡大した。

日本の攻撃はローズヴェルトの立場を非常に楽にした。

ある時から彼は、

米国が民主主義を守るために参戦しなければならないことに疑いを抱いていなかった。

しかし、このことを米国民にいかに納得させるかが問題であった。

パール・ハーバー後、この問題は無くなったのであった。」

p112

###

「パール・ハーバー攻撃は日本軍の最重要作戦ではあったが、

一回限りの作戦だったのではない。

この攻撃の目的は、一定期間米国太平洋艦隊の動きを封じることにあった。

日本にとって重要な資源供給地を確保するうえで、

日本軍には一定の時間が必要だったのだ。

従って、同時に英国領香港とグァム島、ウェーク島、フィリピンの米軍部隊も攻撃対象となり、

オランダ領東インド(インドネシア)が占領された。

マレー、シャム(タイ)、ビルマ(ミャンマー)も攻撃された。

これらの作戦の大半は地理的必然性に起因していた。

海上での覇権を掌握するには、さまざまな島嶼(とうしょ)や港湾を押さえておく必要があった。

日本にとっては、英国・オーストラリア・ニュージーランド・米国・オランダの各軍が問題だった。

しかし、その規模は大きくなく、しかも相互に協調関係もなかった。

フィリピンの米軍を指揮しているマッカーサー将軍は日本軍の攻撃にかなり効率よく抵抗したが、

封じきれる見込みはなかった。」

p143

###■日本軍についての記述

「日本軍は手強い敵であった。

尋常でないほどに自己犠牲の精神を持ち、執拗かつ狂信的であった。

冷酷非道で、かつよく教育されていた。

絶望的状況下でも最後の一人まで戦った。

天皇のために命を捧げる準備が出来ており、

そうした死は彼らにとってもっとも尊いものだったのだ。」

p145

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「戦争は戦場で展開されていたが、その勝敗に決定的な影響を及ぼしていたのは経済力であった。

連合国には枢軸国の3倍の軍事力と歳入があった。

その軍事産業が敵の脅威にさらされることはめったになかった。

加えて、原材料が無尽蔵にあった。

軍事産業においては勿論、実戦部隊への人的供給においても、

それが無限に可能であった。」

p147

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「ドイツ軍は指揮系統では勝っていた。

戦場にあってドイツ軍司令官は柔軟に決断を下しており、

彼らはポーランドで、後にフランスで軍事経験を積み、

さまざまなタイプの軍と共同歩調を取ることができた。

一方、英国軍司令官は厳格で、伝統に固執し、

ソ連軍は自軍の損失を考慮せず、

また米軍は軍事技術的に優位に立ち、すべてを踏み潰すなど、

あらゆる点でドイツ軍とは異なっていた。」

p147

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「ドイツを潰滅・解体することと、フランスから大国としての地位を奪うことは、

英国外交の基本政策—すなわちヨーロッパ大陸勢力均衡の原則—を否定するものであった。

西欧に米国が軍事的・政治的影響力を残し、ソ連の影響力と釣り合うことのみが、

英国外交の基本政策の回復を可能とできるものであった。

しかし、ローズヴェルトは戦争終結後ヨーロッパから直ちに軍を撤収させる意向であると数次にわたって公言していた。

(中略)

ローズヴェルトはフランス、イタリア、オランダから植民地を取り上げたかった。

英国に対しても同様である。チャーチルにとってこれは受け入れがたい計画であった。

この計画はすぐにスターリンの気に入るところとなった。

ソ連には植民地が皆無だったからである。」

p168

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