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ファルク・ピンゲル 和解のための歴史教科書

2010年3月31日 コメントは受け付けていません

#こうした序文を書くことに抵抗はあるが、ご指摘いただいたため書いている。

#私の抽出の仕方を見れば何を言いたいかは自明の理だと思うが、そうもいかない。

#読書記録は非公開グループで展開すべきかと考えている。

#さて今回の書籍はゲオルク・エッカート国際教科書研究所の功績である。

# 日中韓の歴史教育内容の相互理解の道筋がうっすら見えるようである。

#鳥海 靖先生が仰るように、『歴史教育は政治教育である』が、

#高校教育では周辺国の日本評価は盛り込んでほしいものだと思う。副教材としてでも。

#200910#

書名:ファルク・ピンゲル 和解のための歴史教科書

著者:ピンゲル,ファルク

訳者:近藤 孝弘

出版社: 日本放送出版協会

ISBN-10: 4140812281

ISBN-13: 978-4140812280

発売日: 2008/05

(敬称は省略させていただいています。)

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「ゲオルク・エッカート国際教科書研究所は

世界中の国と地域の教科書を所蔵しています。

ここには、東アジア諸国の歴史、地理、社会の教科書もあります。

世界中を探しても、他に類を見ない研究機関と言えるでしょう。

わたしたちはこの研究所で、世界各地でつくられた教科書の表現を比較しています。

宗教・社会・文化などの違いによって、教科書の表現は大きく異なっています。

こうした違いを理解した上で、

世界各地の教育現場でより良い教科書をつくるための助言を行うのが、

わたしたちの役割です。」

p9

「この研究所の創設者ゲオルク・エッカート(1912?74)は、

第二次世界大戦中のナチス独裁下を生き、

その経験から戦後すぐにヨーロッパの様々な国の歴史教師たちと共同研究を始めました。

イギリスやフランスとの間で、それぞれの教科書の表現について比較を行い、

明らかに敵対的な表現を取り上げて、新たな表現に変えるという試みです。

イギリスとフランスの歴史教科書におけるドイツに関する新たな表現、

逆にドイツの歴史教科書におけるイギリス・フランスに関する新たな表現を

両者の合意の上でつくりあげていくのです。」

p14

「ドイツとポーランドの教科書対話は、歴史認識を共有できた例として評価されています。

しかしこうした評価を得るまでにはとても長い時間がかかったことを忘れてはなりません。

ドイツとポーランドの教科書委員会が26項目の勧告を発表したのは1976年のことです。

しかし勧告の内容が実際に教科書に反映されたのは1980年代半ばを過ぎてからのことなのです。」

p15

「ここには、教科書対話における難しさを象徴する問題が描かれています。

つまり、『政治的に受け入れられる合意に至るためには、政治的に解決できない項目は除外されかねない』という問題です。」

p18

「『ドイツ人とポーランド人は今では友好的な隣人同士となっています。

ドイツの歴史教科書は歴史認識を改め、事実に合わない記述は訂正されました。

またポーランド側も、ドイツをいまだに敵国として見るような表現を教科書から削除したのです』」

…ポーランド側のメンバーであったワルシャワ大学歴史学部教授のウォジェミン・ボロジェイ氏

p19-20

「歴史というものは、白か黒かではありません。また唯一の正しい記述方法というものも存在しません。

しかし、ドイツにおいてもポーランドにおいても、教科書の執筆者そして政治家が、歴史の良い面も悪い面も、

両面を一緒に見られるようになるまでには、相当に長い時間がかかったのです。

その一方で、現場の生徒と教師たちについては、ほとんどの場合それほどの困難は生じませんでした。

こういった問題の難しさは、多くの場合、実際の教育現場よりも政治のレベルで現れるのです。」

p25

「教科書対話において、わたしが重要だと思うのは、

委員会のメンバーが政治状況や国の政策に目配せをするのではなく、

自らの立場で討論を行うということです。

つまり、委員会は科学的かつ教育的なものでなくてはならないのです。

 現在、日本・韓国・中国でも教科書対話が行われていますが、ひとつ感じることがあります。

わたしの印象では、東アジアの教科書対話では、

すべての局面において、政治が関わりすぎているように思うのです。

あまりに政治家の発言に依存していて、政治から距離を置いた、

研究者としての立場からの自由な発言をする学者と教育者がいないという状態が続いてるように見えます。」

p27

「教科書対話の参加者の一人、

首都サラエボの学校で歴史教師を務めるセルビア人のスミリャ・ムルジャさんは次のように言う。

『教科書のガイドラインを作る際にわたしたちが心がけたのは、

多角的な視点です。特に論争の対象になるようなデリケートなテーマでは、

さまざまな見方を取り上げました。

また、文化交流の歴史についての記述を増やして、

あえて政治的なテーマについての記述の割合を減らしました。

周辺の国々についても、より広い視点を大切にして、政治的に偏りのない内容を目指しました。』

ピンゲル氏たちが作成した歴史教科書ガイドラインには、

ボスニア・ヘルツェゴビナ国内で使われる教科書の記述はどうあるべきかが示されている。

ガイドラインは、他の民族に対する偏見や差別的な表現を禁止し、

憎しみを助長するような言葉を用いることがあってはならないとしている。

また、デリケートな問題に関しても、議論を喚起するために教科書で語られるべきであり、

その際に歴史的な事実についてはさまざまな見解があることを示すべきだとしている。」

p35

「違いを否定するのではなく、わたしたちの間にはどのような違いがあるのか、

そしてその違いはお互いの共存を許さないほど強いものなのかということについて意見交換することが大切なのです。

そうした議論を行うことで、お互いの違いを認識し、共同で活動に取り組んだり、

同じ学校に通ったり、共に多くを学んだりできるように導いていくべきなのです。」

p37

「セルビア人は残酷であり、

イスラム教徒である自分たちは犠牲者だと言うことを明確にしなければならないという考えを持っている人は、いまだに存在します。

 しかし、そのような考えのままならば、和解など決してできません。

どこで、どのような犯罪が起こったのかは認めるべきですが、

相手を永久に犯罪者にして、現在と未来の共存へのチャンスを与えないということではいけません。

 わたしが言いたいのは、戦争で傷ついた子供たちが学ぶべきなのは、

報復ではなく、2度と戦争を起こさないということです。

殺し合ったのは親の世代なのです。

子供たち自身はまったくの無実です。親の罪が、子供にまで及ぶのを避けなければなりません。

子供たちは、大人たちの罪から切り離され、未来を作っていくべきなのです。」

p38

「『スレブレニツァの虐殺をやったのはセルビア人だ』という言い方をしてはいけないと思います。

罪を犯したのは特定の人間であり、そうした人たちが犯罪者として裁かれるべきなのです。

わたしは共通教科書がつくられて、ボスニアのすべての地域で使われるようになれば、

3つの民族の共存に役立つだろうと思います。」

p41

「生徒のなかにも、将来的には共通教科書を使うべきだ、という意見の持ち主もいる。

『共通教科書はいいことだと思います。ひとつの民族を中心にして歴史を記述するのではなく、

3つの民族が平等でバランスのとれた内容の教科書をつくればいいと思います。(セルビア系女子)』

『民族によって歴史観が分かれるのは望ましくないと思います。

わたしは共通教科書がつくられることを願っています。

わたしの父は戦争で亡くなりました。でもわたしは民族の和解を願っています。

みんなが平和に生活できるために』(イスラム教徒女子)」

p43

「ピンゲル氏は改めて歴史教科書の果たす役割について語りかけた。

『歴史を学ぶということは、年号や歴史上の人物の名前を暗記することだけではありません。

異なる経験をした民族は、歴史に対して異なる見方をするということを知ることが大切です。

子供たちが歴史を自ら解釈する力を育てることが目的なのです。』

p58

「わたしが問題だと思うのは、むしろマスメディアの伝え方です。

問題となっている教科書は、日本のごく一部の学校の教師のみが使用しているものですが、

大変大きく報道されます。

マスメディアは、政治や国家といった耳目を集めやすいテーマだけではなく、

現場の活動にももっと目を配るべきです。

わたしが出会った日本人教師の多くは、韓国人教師との対話において非常にオープンな人たちでした。

彼らは、自国の戦争犯罪を認めることにも躊躇しませんでした。」

p60

「まずお互いを認め合わなければいけないのです。

同じレベルで、平等な立場で交渉を行っていくべきなのです。」

p62

「東アジアでは、歴史教科書のセミナーなどの席上で韓国や中国からの参加者が『日本人は教科書を改めるべきだ。日本人は戦争犯罪者なのだ』と訴えかける態度をとることがあります。

しかし、彼らは同時に自分たちの歴史も批判的に見なければなりません。

日本と韓国の歴史学者のやりとりを見ていてわたしが気づいたことですが、

一方が相手を批判し、批判されたほうがそれに対して弁護するといったことでは、

いつまでたっても真の対話はできません。それでは、互いの見解が近づくことはないのです。」

p62

「わたしたちがドイツとポーランドの対話で学んだ重要なことは、

まず自らの心を開かなければ何も始まらないといことです。

パートナーとしてお互いに心を開き、自分たちの歴史についても批判的に見つめ、

そしてそれを相手方にオープンに伝えなければなりません。

相手の批判に対しても耳を傾けなければなりません。

こうして対等な関係が成り立って、初めて同じレベルでの対話をすることが出来ますし、

周辺諸国の理解も得られるようになるのです。」

p62

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ポーランドの高校歴史教科書

2010年3月30日 コメントは受け付けていません

#各国の歴史教科書の違いというものを知りたかった。

#高校教育に組み込んで差し支えないものであると考える。

#検証可能な事実によって比較できなければ自国の立ち位置が明確にならない。

#そうでなければ全く根拠のない言論攻勢とのバランスを取りながら政治を行っていかなければならなくなる。

#政治家は国民が雇った政治代理人である。

#その国民が知らなければ政治の変化を期待するのは酷だ。

#200810#

書名:ポーランドの高校歴史教科書【現代史】 (世界の教科書シリーズ)

著者:アンジェイ ガルリツキ

訳者:渡辺 克義、田口 雅弘、吉岡 潤

出版社: 明石書店

ISBN-10: 4750321435

ISBN-13: 978-4750321431

発売日: 2005/7/26

「なぜ、歴史を学ぶのか。

歴史を知ったからといって日々の生活にいかほども役に立たず、

将来に向けて決断を下そうとする時にも参考にならないというのに。」

「まず、歴史を意識することが国家・民族を意識する重要な要素であるからである。

国家・民族意識を奪おうと狙った作戦が、

いつもその国家・民族の歴史を教えることを禁じることから始まっているのは偶然ではない。

まったく偽りの歴史が教えられることもあった。

歴史を奪われた国家・民族は緩い集合体となり、統治が容易となる。」

「教科書の執筆者は堂々と嘘を書き連ねているという自覚があり、

理路整然と繰り返し嘘を並べることで、

社会の歴史意識を歪められると思ったのだった。

ある程度まで、彼らの思うとおりであった。」

「すべての年号や人名を丸暗記せよというのではない。

それよりはるかに大切なのは、

歴史の流れ、つまり事件の原因と結果を理解することである。」

アンジェイ・ガルリツキ 序より

###■パール・ハーバーについての記述

「1941年12月7日、日本の航空機がハワイの米国軍港パール・ハーバーを攻撃したのである。

(中略)

ローズヴェルト大統領は日本に交戦状態に入ったことを宣言した。

3日後、第三帝国とイタリアが米国に宣戦布告した。戦争は地球規模に拡大した。

日本の攻撃はローズヴェルトの立場を非常に楽にした。

ある時から彼は、

米国が民主主義を守るために参戦しなければならないことに疑いを抱いていなかった。

しかし、このことを米国民にいかに納得させるかが問題であった。

パール・ハーバー後、この問題は無くなったのであった。」

p112

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「パール・ハーバー攻撃は日本軍の最重要作戦ではあったが、

一回限りの作戦だったのではない。

この攻撃の目的は、一定期間米国太平洋艦隊の動きを封じることにあった。

日本にとって重要な資源供給地を確保するうえで、

日本軍には一定の時間が必要だったのだ。

従って、同時に英国領香港とグァム島、ウェーク島、フィリピンの米軍部隊も攻撃対象となり、

オランダ領東インド(インドネシア)が占領された。

マレー、シャム(タイ)、ビルマ(ミャンマー)も攻撃された。

これらの作戦の大半は地理的必然性に起因していた。

海上での覇権を掌握するには、さまざまな島嶼(とうしょ)や港湾を押さえておく必要があった。

日本にとっては、英国・オーストラリア・ニュージーランド・米国・オランダの各軍が問題だった。

しかし、その規模は大きくなく、しかも相互に協調関係もなかった。

フィリピンの米軍を指揮しているマッカーサー将軍は日本軍の攻撃にかなり効率よく抵抗したが、

封じきれる見込みはなかった。」

p143

###■日本軍についての記述

「日本軍は手強い敵であった。

尋常でないほどに自己犠牲の精神を持ち、執拗かつ狂信的であった。

冷酷非道で、かつよく教育されていた。

絶望的状況下でも最後の一人まで戦った。

天皇のために命を捧げる準備が出来ており、

そうした死は彼らにとってもっとも尊いものだったのだ。」

p145

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「戦争は戦場で展開されていたが、その勝敗に決定的な影響を及ぼしていたのは経済力であった。

連合国には枢軸国の3倍の軍事力と歳入があった。

その軍事産業が敵の脅威にさらされることはめったになかった。

加えて、原材料が無尽蔵にあった。

軍事産業においては勿論、実戦部隊への人的供給においても、

それが無限に可能であった。」

p147

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「ドイツ軍は指揮系統では勝っていた。

戦場にあってドイツ軍司令官は柔軟に決断を下しており、

彼らはポーランドで、後にフランスで軍事経験を積み、

さまざまなタイプの軍と共同歩調を取ることができた。

一方、英国軍司令官は厳格で、伝統に固執し、

ソ連軍は自軍の損失を考慮せず、

また米軍は軍事技術的に優位に立ち、すべてを踏み潰すなど、

あらゆる点でドイツ軍とは異なっていた。」

p147

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「ドイツを潰滅・解体することと、フランスから大国としての地位を奪うことは、

英国外交の基本政策—すなわちヨーロッパ大陸勢力均衡の原則—を否定するものであった。

西欧に米国が軍事的・政治的影響力を残し、ソ連の影響力と釣り合うことのみが、

英国外交の基本政策の回復を可能とできるものであった。

しかし、ローズヴェルトは戦争終結後ヨーロッパから直ちに軍を撤収させる意向であると数次にわたって公言していた。

(中略)

ローズヴェルトはフランス、イタリア、オランダから植民地を取り上げたかった。

英国に対しても同様である。チャーチルにとってこれは受け入れがたい計画であった。

この計画はすぐにスターリンの気に入るところとなった。

ソ連には植民地が皆無だったからである。」

p168

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老臣権を争うは

2010年3月26日 コメントは受け付けていません

「老臣権を争うは亡国の兆しなり」

…榊原 康政(徳川家武将)

education/教育

2009年11月13日 コメントは受け付けていません

#20050306#

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「わが国のすべての問題に対する答えは、

 世界のすべての問題に対する答えは、ただひとつの言葉に帰着する。

 それは「教育」である。」

…リンドン・ベインズ・ジョンソン

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「石鹸と教育は、大量殺人ほどの急激な効果はないが、

 長い目で見ると、それ以上の恐ろしい効力があるのだ。」

…マーク・トウェイン

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「時代遅れの教師ほどうんざりさせるものはない。」

…ヘンリー・アダムズ

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「教師は未来永劫にまで力を及ぼす。

 影響がどこでとまるか、自分でもわからない。」

…ヘンリー・アダムズ

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「凡庸な教師は教える。

 よい教師は説明する。

 優秀な教師は例を示す。

 偉大な教師はインスピレーションを与える。」

…ウィリアム・アーサー・ワード

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「教育の本当の目的がひとつあるとすれば、

 それは人をして常に疑問を投げかける状態に置くことである。」

…ビショップ・マンデル・G

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「ある真実を教えることよりも、

 いつも真実を見出すにはどうしなければならないかを教えることが問題なのだ。」

…J.J.ルソー

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「教育の目的は、諸事実について知ることでなくて、価値について知ることである。」

…ウィリアム・ラルフ・イング

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「勤勉だけが取り柄なら蟻と変わるところがない

 なんのためにせっせと働くかが問題だ。」

…ヘンリー・デービッド・ソロー

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「日本の学問は、ものを習う”習得型”で、

 何か新しいことに挑戦する“探求型”が不足している。

 というより、“探究心”の教育を受けていないと言っていいと思います。」

…江崎玲央奈

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「あえて教える道を選んだ者は、学ぶことを止めてはならない。」

…ジョン・コットン・ダナ

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「苦しみは人間の偉大な教師である。

 苦しみの息吹のもとで魂は発育する。」

…エッシェンバッハ

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「敗北とはいかなるものか。

 教育以外の何ものでもない。

 よりよい状態への第一歩に他ならない。」

…ウェンデル・フィリップス

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「多くの犠牲と苦労を経験しなければ、

 成功とは何かを決して知ることはできない。」

…マハトマ・ガンジー

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「子供を不幸にする一番確実な方法は何か。

 それをあなた方は知っているだろうか。

 それはいつでも何でも手にいれられるようにしてやることだ。」

…ルソー

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「人間は逆境にあっては優れているが、

 安全と富を得ると惨めな目的を失った生物となりがちである。」

…D・ガボール

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「『幸せな子』を育てるのではなく

 どんな境遇におかれても『幸せになれる子』を育てたい。」

…皇后陛下 美智子様

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「世界で最もすばらしいことは、自立の方法を知ることである。」

…モンテーニュ

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「家族とは、「ある」ものではなく、手をかけて「育む」ものです。」

…日野原重明

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「親であるということは一つの重要な職業だ。

 しかし今だかつて、子供のために、この職業の適性検査が行われたことはない。」

…ジョージ・バーナード・ショウ

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「親は子供に助言し導くことはできるが、

 最終的な人格形成は子ども自身の手に委ねられる。」

…アン・ランダース

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「人を評価するのはよしなさい。

 その前に、その人が世界をどういう風に眺めているかが分かるようになりなさい。

…マーラ・メイブルズ・トランプ

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「罰の目的は悪の防止である。それは決して善への拍車とはならない。」

…ホレース・マン

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「子供というのは教育されなければならないが、

 また、子ども自身、自らを教育するようにもさせなければならない。」

…エルネスト・ディムネ

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「あらゆる教育の一番よい部分は、人間が自分自身に与えるところの教育である。」

…ウォルター・スコット

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「教師の側から知識を授けるよりも、

 まず知識をもとめる動機を子どもたちがもつような学校が、真の学校である。」

…デューイ

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「知識は、単に記憶力によってではなく、

 自分の思想上の努力によって獲得された時にのみ知識である。」

…トルストイ

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「人に必要なのは才能ではなく、目標である。

 達成するための力ではなく、働く意思である。」

…ブルワー・リットン卿

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「自分自身のために真っ先にする必要があることの一つは、重要な目標を選ぶことである。

 完璧なんてあり得ないのだから、いつだって最善を尽くすことはできるし、成長することもできる。」

…レス・ブラウン

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「間違いを犯してばかりの人生は、

 何もしなかった人生よりも、あっぱれであるだけでなく、役に立つ。」

…ジョージ・バーナード・ショウ

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「経験の与えた一つの棘は警告の最も厳しいものの全部にも値する。」

…アルフレッド・ド・ミュッセ

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「長々と智慧を聞かせてみよ。一体誰がその小道を行くだろう。

 この世では自分で失敗してみて始めて分別が付くのである。」

…ヴィクトル・ブリューゲン

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「未来を読めない人間は、

 学ばない人間ではなく、学び方を知らない人間だ。」

…アルビン・トフラー

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「私達があらゆる努力をする…全精神力、精神力全体を傾注して、

 まず自己を極限にまで使い尽くして高めきった後に、

 私達は今一度これまでの過程で獲得してきた事柄すべてを捨て去ることができなければならない。」

…ルドルフ・シュタイナー『現代の教育はどうあるべきか』

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「将来の文盲とは読み書きのできない人ではなく、

 学ぶことも、学んだことを捨てることも、また学びなおすこともできない人のことである。」

…アルビン・トフラー

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「知的教育の主要な部分は、単に事実を習得させることにあるのではなくて、

 学んだ事実が生活の中でいかに実践されるかを学ばせることである。」

…オリヴァー・ウェンデル・ホームズ

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「世界で最高の教育は、名人が仕事をしているところを見ることだ。」

…マイケル・ジャクソン

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「模範は、それが言葉なしで教えるにもかかわらず、教育者のうちの最も力強いものの一つである。」

…スマイルス

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「人間が賢くなるのは経験によるのではない。経験に対処する能力に応じてである」

…バーナード・ショー

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「経験とは人の身に起こることではない。

 それは人が己の身に起こることにどう対処するかである。」

…オルダス・レナード・ハックスリー

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『思考には行動が伴わなければなりません。

 教養があり、知的で考える力がある人なのに、

 怠惰で、自分の考えを行動に移さない人を見ると、私は悲しくなります。』

…ファビオ・マガリャンエス館長

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「教育とは、学校で習ったすべてのことを忘れてしまった後に、自分の中に残るものをいう。

 そして、その力を社会が直面する諸問題の解決に役立たせるべく、自ら考え行動できる人間をつくること

、 それが教育の目的といえよう。」

…アルバート・アインシュタイン

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