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Archive for the ‘diary/日記’ Category

微笑む人

2010年4月27日 コメントは受け付けていません

柔和に努めた優しい態度は、境を越えさせない冷たさを感じさせた。

それは己の規律を他人に適用しないための、鍛えられた冷たさだった。

その孤独な微笑みに安らぎを与えるには、その冷たさを解決する必要があった。

無視すれば、彼の人は抱きとめられても心は逃げるだろう。

平気な顔でいれば彼の人は戸惑い、避けるようになるだろう。

癒やそうと近づけば、侮辱を感じてあの柔和な態度で固辞するだろう。

彼の人が警戒心を抱かない態度は、境を越える干渉をしないことだと学習する。

境を越えないがいつでも連絡を取れる存在。

彼の人の内側に浸透するには、信頼を積み重ねていくことが必要だった。

彼の人は拒絶するだろう。何度も。

それは相手を試そうとするわけではなく、自分を守るために。

どうして彼の人なのだろう。別にこだわる必要もない。

彼の人でなければ、という理由もない。

少し座って、考える。

いい日

2010年3月11日 コメントをどうぞ

昨日はいい日だった。
明日もきっといい日だ。
そして、そのいい日は、僕が今日作る。

それがどうかしましたか。
その物語が、私たちの行動に、変化をもたらすものですか。
私は信じています。
人々が、様々な分野で、最善を尽くしていることを。

私は、彼らが、私の存在を知ることもなく、
『ああ、今日もいい日だった。明日もきっといい日だ。』
そう、思ってくれることを願っている。
そのために働くことができて、生きることができるなら、
それが幸せなんです。

昨日はいい日だった。
明日もきっといい日だ。
そして、そのいい日は、僕が今日作る。

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介入

2010年3月9日 コメントをどうぞ

幸せを作ることが、今の僕の幸せなのだ。
そして僕には、僕の死後も幸せを作ることができる人々や組織を構築したいという、
永生欲求に汚れた野望がある。

それこそが僕が生きて成すものであり、死後に遺すものだと思う。

一人になっても幸せになれる人間。
特定の誰かがいなくなろうと幸せになれる人間。
僕はそういう人間を残したい。そういう人間を大切にしたい。
そういう人間を教育できる人間を育てたい。
そういう人間が属する事を選択するような組織を作りたい。

だからまず、僕は依存を好まない。
皆が、今属する組織が壊滅しようと独立できる人間にしたい。

#ああそうさ。きっと、僕はまだ恐れているのだ。
#それでも、それだからこそ、僕の人生で行えることなんじゃないかと思うんだ。

それが僕の取りかかる現在への介入だ。

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無力感

2010年3月9日 コメントをどうぞ

お前はよく頑張った。
本当によく頑張った。
万力を込めて人事を尽くした。

ならばお前は、
明日という社会的な時間の区切りに、
それほど恐れを抱かなくてもよいではないか。

自然の暗闇に溶け込み、
お前の精神が、
お前の暗き精神が産み出す心地よい闇に包まれながら、
その状態に飽き、自らそれを裂くほどの光を発するまで、
養分を蓄えるがよい。

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日記/発信の理由

2010年2月2日 コメントは受け付けていません

その常識を作っている人間は誰だ。

その常識から得る作り手のメリットは。

そのメリットをどこの組織が享受するか。

複雑な問いに簡単な答えを提示するものに用心せよ。

彼は犠牲にすべきものをこちらの合意なしにすでに決めていて、

さらにその責任をなすりつけようとしている。

表現者とリーダー

2009年7月14日 コメントをどうぞ

お前のすべきことは、あの地平、あの高み、もはや過ぎ去ったあの場所を、

思い出しながら詩へと持ち帰り、歌いあげることではない。

お前はそれらの行為によって、

確かに、同じ郷愁の念を抱く者たちの慰みとなることはできよう。

しかし、郷愁の念に捕らわれた人間だけの社会はあまりに脆弱なものだ。

人は、死の淵、あの雪の降った早朝のような冷徹な世界で生の湧き水とその流れを予感しなければならない。

リーダーを待ち焦がれるな。

リーダーは常に生まれて、存在している。

しかし彼らは、常に過去の認識しか語ることのできない人間に抑圧され、常識という過去の認識に抑圧され、身を隠している。

君ら、表現者よ。

もし君らが、身を隠しているリーダーが意を決して出てくる事を願うならば、

世の惨状と無常さを嘆くのではなく―――リーダーというものは、そのような澱みに対する駆逐願望を『すでに持たされ』ている―――、

リーダーたちの祈りを、代わりに歌いあげてやるがよい。

彼らは耳を塞ぐかもしれぬ。

何か強烈な帰属意識か、理想、狂気のようなものがなければ、

自らリーダーの資質を生かそうとは思わないものだ。

それほどまでにその生き方は危険であり、

勝ち目の薄く、利益のない賭けである。

だが友らよ、リーダーたる者は知っている。

自らの生命が求めている生き方は、躍動と充実の生き方は、それしかないのだと。

その事実に嘆きながら、彼らは酒や薬、食べ物に逃げ、無責任な人間のように装い、

見ることや聞くことに自ら制限をかける。

しかし君ら、表現者よ。

リーダーの資質を持ってしまった者を、鼓舞し、彼らに現実を見させ、行動させるのだ。

間断なき鼓舞と断続的な悲劇によって、リーダーが賭けに負けてもいいと思えるような状況を作るがよい。

侵略と防衛

2009年7月9日 コメントをどうぞ

侵略者の葛藤が理解できない者は、

防衛の必要性も理解できないだろう。

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