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Peter Ferdinand Drucker/P・F・ドラッカー3 傍観者の時代2

2010年1月29日

「アメリカ国務長官としてのキッシンジャーの思想と行動はクレーマーの思想と行動そのものだ。

(中略)

 私たちは、お互いの答えが食い違っていることを直観した。

(中略)

 私たちの論題は、20を回ったばかりの若者の常で、多岐にわたった。

 とはいうものの、いつの話し合いでも、クレーマーは3つの考えを中心に自己の意見を組み立てた。

 この3つの考えは、彼の政治哲学のいわば三本柱であった。」

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「第一は、外交を内政に優先させなければならないという考えである。

 外交は国家の存亡に関わる

 ―――国家は外交によってその存続が保証されて初めて、憲法や法律、社会正義や経済に取り組むことができる、というのである。

 1930年代初頭のその当時、クレーマーは、

 この考えを20年後のドゴールほどに格調高く説いたとは言いかねるが、しかし力説した。

 私は、国家の存続が最重要事であることを認めた。

 けれども、外交がいついかなる場合にも内政に優先するという主張には得心がいかなかった。

 ―――今は当時以上に得心がいかない。

 古来、数多くの国が―――と、私は反論した―――他国に侵入され、征服されて倒壊したが、

 同じ程度に国内の腐敗によっても倒壊した―――

 外交の大家が内政を外交に従属させるために利用した手段そのものが、国家を崩壊させたのだ。

 彼らが採用した手段は、国を腐敗させ、歪にした。

 17世紀のフランスのリシュリューがそうだったし、

 19世紀初頭のオーストリアのメッテルニヒがそうだったし、

 とりわけ19世紀のドイツのビスマルクがそうだった。

 この点で手本にすべきだと私が見なしているのはエリザベス朝時代のイギリスの初代セシル、

 つまり女王の顧問でもあり外交の大家でもあったウィリアム・バーレーである。

 彼は、列強が相争っていたその当時、

 いかにしてでもイギリスを存続させなければならないことを明確に認識していた反面、

 常に外交と内政の調和に努め、両者のトレードオフと折衷の必要性を認めていたのである。」

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「クレーマーの第二の揺るぎない考えは、

 外交問題で他の何よりも重視しなければならないのは力だ、というものであった。

 彼のいう力とは、政治力であり、究極的には軍事力であった。

 クレーマーに言わせれば、外交問題で真剣な考慮に値するそれ以外の要素は唯一つ、

 超国家的な理念、たとえば宗教勢力ないしはマルクス主義のような現世的な主義信条である。

 もちろん、歴史家としても図抜けていた素養のあったクレーマーは、

 スターリンのように『法王は何個師団を保持しているのか』といった馬鹿げたことは言いはしなかった。

 けれども、超国家的な理念は本質的に、国益ないしは国力の制約となる、と見ていた。

 一般に国家は、国益に反する行動を、自らのイデオロギーの故にとるようなことはない。

 けれども国家はしばしば、最も国益に適う行動をとることを、

 自らのイデオロギーによって制約され、その結果として通常、手痛い目にあう、というのが彼の考えであった。

 地下のチャーチルもドゴールも、クレーマーのこの考えに共感を表明するに違いない。」

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「他でもない、クレーマーとの議論を通じて、

 私は初めて政治というものを───最適化の技術としての───、

 そして損害を最小にするような『トレードオフ』の探究としての政治というものを

 ───つきつめて考えさせられたのである。

 クレーマーはもちろん、こうした考えを受け入れようとはしなかった。

 彼は、究極的には外交と内政との間に折り合いをつけなければならないことを認めた。

 けれども、あくまで外交の優位という考え方が出発点であり、

 望ましい考え方であり、唯一の、純正な考え方であると主張していた。

 調和とトレードオフを通じての最適化という私の考え方は、

 しまりのない考えだ、と彼の目には映ったようである。

 事実、それはしまりのない考えである───不純な考えでないにしても。」

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「そして、チャーチルもドゴールもクレーマーも、

 経済は政治行動への動機付けになるし、政治行動に対する制約にもなる、

 という考えをまるで問題にしないか、軽視するに違いない。

 私がこの問題に経済という要素を持ち込もうとするたびに、

 クレーマーは、経済封鎖や経済制裁によって軍事降伏や政治降伏を勝ち取ろうとする試みがことごとく失敗に終わった事実を、

 あざけるような口調で指摘した───ナポレオンの大陸封鎖、

 南北戦争当時の北部連合による南部連合の封鎖、

 第一次大戦当時のドイツに対する封鎖をわざわざ引き合いに出すまでもあるまい、というのであった。

 経済力の強弱でさえほとんど問題にならない、とも彼は言った。

工業原料もなきに等しかったが、4年間も持ちこたえる事が出来た。

この場合にも、両国が敗北を喫したのは戦場での戦いに敗れたからである。

したがって政治家は、経済など一顧だにせずに政策を立案し、遂行すべきである、少なくとも経済の役割を───芝居にたとえて言えば、通行人の役割程度に───限定すべきである、というのがクレーマーの結論だった。」

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「クレーマーと私は、覇権争いは自滅に繋がると言う点では意見が一致した。

 二人とも、ツキュディデスがアテネ滅亡史の冒頭で覇権争奪の愚かしさに警告を発している事を知っていたし、

 その警告を肝に銘じていた。

 私たちはまた、弱小国と同盟を結んで『勢力圏(ブロック)』を作り、

 自国の地固めを強化しようとする大国の試みは効果がないという点でも意見が一致していた。

 この点については1930年代初頭のその当時、私たちには記憶に新しい事例があった。

 ───ビスマルク後のドイツと衰退の道をたどりつつあったオーストリアとの同盟がそれである。

 ドイツはこの同盟のおかげで力が強くなったどころか逆に行動の自由を失い、

 とどのつまり、オーストリアの無能と無責任の犠牲になって自殺的な戦争に巻き込まれる羽目になった。

 とはいうものの、歴史を振り返ってみれば、

 外交政策の基盤としての『従属国』の愚考の例も枚挙にいとまがない。

 ───他国を隷属させ、この体制を基盤として外交を展開するという政策は、

 例外なしに、『従属国』が逆に支配国になったり、

 無謀な従属国がへまをやらかす、という結果に終わっている。」

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「クレーマーは以上のことから、追求するだけの価値のある外交政策は唯一つ、

『大国間の力の均衡(balance
of
power)』を採る政策だ、という結論を引き出した。

 他の国は───どのような経済力や政治的結びつきを持っていようと───無視して差し支えない。

 弱小国には基本的に選択の余地はないのだ───現代風にいえば、行くべき場所はないのだ、というのである。

 それぞれのグループには───たとえば労働者やアメリカの黒人には───

『行くべき場所』はないのだ、といったような説は肯定できない。

 アメリカの政治家で、

 この通俗的な教えを守って成功した者がただの一人もいないのは決して偶然ではない。

 これらのグループは、そう易々と寝返りを打って他の側につくことは出来ないかもしれない。

 しかしその気になればいつでも、無視することができるのだ。

 したがって、力の等式には、力とイデオロギー以外の要素、たとえば経済などをも加味しなければならない。

 と同時に、力の均衡には『大国』と『中級国』の双方を組み込まなければならない。」

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「この論争は遠い昔から幾度となく蒸し返されてきた論争である。

 近年の世界の政治指導者について言えば、

 ルーズベルトとスターリンとドゴールの三人は、クレーマーの肩を持つに違いない。

 けれども、チャーチルは明らかに私の見解に近い。事実、テヘラン、ヤルタ両会談でも、

「大国が『総体的な』(たとえば『経済』のような要素も含めた)均衡を保ちながら、

 ヨーロッパの伝統的な諸国が『全面的に』(軍事、政治、経済においても)パートナーになる」という解決策を提案している。

 結局、チャーチルの意見は通らなかったけれども、これは言うまでもなく、

 十九世紀の構図『欧州協商』の構造であり、

『欧州協商』は1815年から1914年に至るまでの100年間、

 大規模な多国間戦争を防止するのに成功した唯一の、『力の均衡』の構図だったのである。」

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「クレーマーの第三の考えに対しては、私は薄ぼんやりとした考えからではなく、

 私の主義として反対した。

 クレーマーは、外相に偉材を求めた───というより、外相には偉材が就任しなければならない、と主張した。

 外交問題の処理と言う仕事は、政治的資質に対する最大の挑戦であり、

 天才を要求する、というのがクレーマーの考え方であった。

 私は当時、ビスマルクの外交上の一大勝利だった1878年のベルリン会議の直後に、

 時のイギリス首相ディズレーリが次のように評した事実を知らなかった。

「ドイツも哀れだな。ビスマルクは年寄りで先が見えている。

 ドイツはいずれ海兵隊の大尉あたりをあの巨人の後釜に据えるだろうが、

 どうせ臆病で何も出来ないか、酔っ払って彼と同じことが出来ると思い込むかのどちらかだ。

 もうすぐ、ドイツは敗れる。」

 ディズレーリの評言ではないが、歴史を読めば読むほど、天才外相はむしろ災いの種だな、との感を私は深めた。

 ドゴールですら、リシュリュー同様、ヨーロッパの覇権を握るという夢を追い続けて、

 フランスをヨーロッパの協商に統合しようとはしなかった。

 しかもドゴールですら、リシュリュー時代から300年も経っているというのに、

 フランスの外交政策を自国の資源と自国のニーズに適合させようとはしなかった。

 オーストリアはメッテルニヒの成功で滅び、ドイツはビスマルクの成功で滅びた。

 なぜか? ディズレーリが予言したように、

 偉大な外相の後を継ぐのは常に『海兵隊の大尉』か事務長程度の人物だからである。

 後継者はやがて、その職から退くか、悪くすると虚勢を張るようになる。

 天才外相は、彼のその飛びぬけた才能は、

 外部世界にいつまでも消える事のない不信感を植えつけることにもなる。

 リシュリュー、メッテルニヒ、ビスマルクに類する外交家は、

 昔からの原則『外交においては利口であってはならない。純粋、誠実であれ』を常に軽蔑して退ける。

 この人たちは利口である───だがその結果、策士、誠意に欠ける人物と見られがちである。」

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「フランクフルト時代のクレーマーとのえんえんと続いた議論を通じて、

 私はまず、偉材が国政を司ることの矛盾に気づいた。

 偉材にその任を託さなければ、ビジョン、リーダーシップ、業績は期待できない。

 凡人は何もかも台無しにしてしまう。

 けれども芸術や学問などの場合と違って、国政の場合には、個人の業績は長持ちしない。

 が、長持ちさせる必要がある。

 そのためには、偉材の後釜には偉材を据えなければならない。

 だが偉材が去った後にはほとんどの場合、人的空白が残る。

 結果、自分が受けた教練以外何も知らない、

 ディズレーリの言う『海兵隊の大尉』が後を継ぐ事になるのである。

 私は彼とえんえんと議論を重ねている間に、

 偉材が公の職務に就いている場合に生ずる矛盾、

 とりわけ組織の中で───政府、大学、企業のいずれを問わず───

 活動している場合に生ずる矛盾を解く事に、終生変わらぬ興味を抱いた。

 というのは、それが解消可能な矛盾だからである。

 セシル・バーレーは身辺に第一級の同僚を配し、

 また息子を一級の後継者に育て上げる事によってこの矛盾を解消した。

 ジョージ・ワシントンもまた優れた後継者を星のように残した。

 ジョージ・マーシャル将軍も同様だった。

 実業界の例では、その昔『大君』と中傷されたジョン・ロックフェラー一世や、

 アンドリュー・カーネギーがいるし、

 それ以前には日本の三井、三菱の創始者たちがいる。」

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「しかしながら、

 『海兵隊大尉』や事務長、くたびれた卑屈な下働きしか後を継ぐ者がいないという事態は、

 指導者が偉大だった場合だけに生ずる事態ではない。

 なかには、自らが力を有しているだけでなく、後継者に力をつける指導者もいる。

 これこそ真の『偉材』であり真の『指導者』である。

 この人たちは、世間一般に考えられている『偉材』とは、見かけも行動もまったく異なる。

 真の指導者は『カリスマ』で導くわけではない───

 たとえそれが宣伝係のでっち上げでなくとも、

 カリスマなど甚だうさんくさいものであり、いかがわしいものである。

 真に力のある指導者は、勤勉と献身によって導く。

 彼は全てを掌握しようとはせずに、組織を作る。

 彼は手管で支配しようとはせずに誠意で支配する。

 真の指導者は利口ではなく、純粋で誠実である。」

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「キッシンジャーの著作は、クレーマーの理論で精彩を放っている。

 しかも、ニクソン政権の国務長官に就任するや、

 1942年の新兵訓練の際にはじめてクレーマーから教示された政治哲学の三つの公理

 ───外交の優位、外交における力の優位、天才外相の必要性───を身をもって実践し始めた。

 これら三つの公理は、まさしくキッシンジャーの政策そのものであった。」

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「アメリカの外交政策を内政への従属から開放することは当時も今も緊急事項である。

 アメリカほどかんたんに外部世界の存在を忘れ、自国の国際的な力、競争力、友邦への影響を考慮せずに、

 各種の国内政策や国内計画を制定できる国は、これまで一つも存在しなかった。

 アラブ諸国の中にイスラエル国を設ける事に賛成する、といった重大な外交上の約束が、

 選挙戦での短期間の票集めで正当化される国は、これまでアメリカ以外に1国も存在しなかった。」

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「クレーマー・ドクトリンを文字通り信奉して、キッシンジャーは日本を無視したが、

 日本の頭越しの中国承認、1971年のドル切り下げの際の日本無視は、犯さずに住んだはずの大失態である。

 日本がその経済力で近い将来、太平洋圏の『大国』になることが目に見えているからである。

 キッシンジャーがヨーロッパの同盟国を無視したこと、

 その政策立案に経済的要因を採りいれなかったことも同じく、第一級の失策である。

 「中級国」は確かに「行くべき場所」がない───亡命する事は出来ない。

 しかし、支配国を見捨てる事は出来るのであり、事実、キッシンジャー時代の最初の外交危機、

 1973年の中東戦争でヨーロッパの同盟国はあっさりとアメリカを見捨てたのである。

 その後には、キッシンジャー政策はもはや残らなかった。

 クレーマー=キッシンジャー外交が最も嫌悪していたケース・バイ・ケースの即席外交だけが残った。

 だがそれでよかったのである。」

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「キッシンジャーの経験に何か意味があるとしたら、

 それは「天才外相」の理論が誤りであることを示した事である。

 それは空論であった。アメリカは確かに外交政策を必要としている。

 だが、それは国内政略という水面の上でコルクがはねるような外交政策であってはならない。

 力の均衡も必要である。だが、それは中級国をパートナーとして擁する、

 かつ、『力』の定義に潜在軍事力以外の要素をも含めた『力の均衡策』でなくてはならない。

 アメリカの外交政策にはリーダーシップが必要である。だがそれは、才知や手練よりも純粋さ、

 誠実さを基盤とするリーダーシップである事が強く望まれるのである。」

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「まったく君が羨ましい。僕も出来るなら出て行きたいよ。───でも無理だ。

 僕はナチの委員会でみんなの話を聞いているうちに怖くなった───でも僕も現にその一員なんだ。

 中には気違いもいて、ユダヤ人を皆殺しにしようとか、戦争をやろうとか、

 反対意見の奴や総統(ヒトラー)の言葉を信じない奴はぶち込むか殺すかしよう、と言っている。

 正気の沙汰じゃない。僕は恐ろしいんだ。

 君は一年前、ナチスは本気でそういうことを言っているんだ、と言ってくれた。

 でも僕は、大袈裟な宣伝文句で、本気であんな事を言っているんじゃないと思っている。

 20世紀なんだからね。

(中略)

 君は要するにわかっていないんだ、ドラッカー。

 僕は頭がよくない、それは分かっている。

 僕は君やアルネやベッカーよりも長く勤めている。君たち三人は幹部編集者になった。

 それなのに、僕は駆け出しの頃と相変わらず市役所回りだ。

 僕は文章が上手くない。それも分かっている。

(中略)

 いいかね、ドラッカー。僕は権力が欲しいんだ、金が欲しいんだ、一人前の人間になりたいんだ。

 だからこそ僕はナチスに入党したんだ。

 ぼくは『優れた人間になれるんだ』!

 頭のいい、育ちのいい、コネのある連中は選り好みをしすぎるし、融通が利かないし、汚い仕事をやろうとしない。

 今こそ僕という男が認められるチャンスなんだ。覚えてろ、今にきっと僕の評判を耳にするだろう。」

…P・F・ドラッカー『傍観者の時代』

 ユダヤ人虐殺、ドイツ人粛清の指揮をとり、仲間からも『怪物』と呼ばれていた、

 ナチス親衛隊(SS)副隊長、ラインホルト・ヘンシュとの会話

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「悪はいついかなる場合にも、とるに足らぬものではない。

 悪をなすのは多くの場合、取るに足らぬ者なのである。

(中略)

 悪がいつ如何なる場合にもとるに足らぬものでない反面、

 人が多くの場合取るに足らぬ存在だからこそ、

 人はどのような条件であれ悪と取引してはならない。

 それがつねに悪の提示する条件であって、人間の提示する条件ではないからである。

 人は、ヘンシュのように悪を利用して自己の野心を遂げようとするとき、悪の道具となり、

 シェイファーのように悪に加担してより大きな悪を阻止しようとするとき、悪の道具となるのだ。」

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