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Peter Ferdinand Drucker/P・F・ドラッカー3 傍観者の時代1

2009年11月9日

#20051128#作成

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「私の教師観察は早くから、教師にとっては特定の模範といったものはないし、

 一つだけの適正な手法といったものもないという結論に私を導いた。

 人を教えられるか否かは、天稟(てんりん)の有無による。

(中略)

 が、徐々に、私は別種の教師をも発見するに至った。

 もっと正確に言えば、学習[習得]を産み出す人たちを発見するに至った。」

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「その人たちは、『教師』たることによって

 ───言い換えると天与の人格によって───学習[習得]を産み出すのではない。

 その人たちは、学生を学習に導く手法を通じて、そうするのである。

 この人たちはまず個々の学生の強み[得手、長所]を見つけ出す。

 それらの強みを伸ばすために目標を設定する。それも、長期目標と短期目標の

双方を設定する。

 しかるのちに、この人たちは、学生の弱み[不得手、欠点]に関心を向ける。

 ───弱みが、強みの完全な発揮を制約するものとして現れるからである。

 次いで、学生に、自己の成果からのフィードバックを確実に得させる。

 ───自己を統制し、自己を方向づけられるようにするためである。」

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「この人たちは、批判せずに賞賛する。

 しかし、この人たちは賞賛を控えめに利用するので、

 賞賛は刺激剤としての力をいつまでも失わないし、

 学生にとっての主たる報酬である達成感、自負心に取って代わることもない。

 この人たちは、『教えない』。

 学生が効果的に学習しえるような計画を立てるだけである。」

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「ものを『教える』ということは、主題についての知識ないしは『意思疎通技能』の関数ではない。

 それは別種の資質である。

『教えること』の究極の産物は、教師自体に生ずるものではない。

 生徒に生ずるもの、すなわち習得なのである。」

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「教師には二種類ある。

 天賦の才を『有する』教師と、学習を計画的なものにする方法を心得ている『教育学者』である。

 教師は、生まれるものである。生まれながらの教師は向上し、より良い教師になれる。

 一方、教育学者は学生に学習を可能にさせる、ほとんど全ての学生に学習を可能にさせる手法を持っている。

 その意味で、生まれながらの教師は、

 自分の天賦の才に教育学者の手法を付け足せば、極めて容易に『偉大な教師』になれる。

 そればかりか、小集団にも大集団にも、初心者にも『大家クラス』にも教える事が出来る『万能教師』にすらなれる。」

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「ソクラテスがソフィストを批判したのも、彼らが『教える事』を重視し、

 教師が『主題を教える』のだと彼らが考えていたからに他ならない。

 これは怠慢であり、自惚れである、とソクラテスはみなした。

 教師が『学習法を教え』、学生が『主題を学ぶ』のである。

 学習は実を結ぶ行為であり、教える事は思い上がり、瞞着行為なのである。

 これゆえにデルファイの神託は彼を『ギリシア最高の賢人』と呼んだのである。」

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「今日に至るまでのほぼ二千年にわたって、

 ソフィストが───教授法を教える事が出来ると約束している者が───支配的地位を占めてきた。

 彼らが最高の勝利を収めた事は、博士号───すなわち高等専門科目知識───は、

 教えることへの適切妥当な───そして唯一の───備えであるとする考えを、

 アメリカの高等教育機関が盲信していることによって明らかである。

 が、ソフィストが支配してきたのは西方だけである。

 教師に相当するインド語は『グールー』であり、そは生まれるものであって作られるものではない。

 彼には権威がある、が、それは大学の講座の権威ではなく霊の権威である。

 同様に、日本の『先生』も『教師』というよりも『先達』

(『先に立って導いていく人。案内者。───三省堂「大辞林第二版』)である。

 しかるに西方においては技能としての教授のみが重視され、

 ソクラテスが認識していた次の事実が閉却されてきたのだ───

 『教授は天賦の才であり、学習は技能である』」

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「私たちは、学習が、私たち一人一人に組み込まれていることを再発見した。

 人間が、いやそれどころか、生きとし生けるものが『学習機関』であり、

 学習するよう『プログラム』されていることを再発見した。

(中略)

 ソクラテスの時代以来、二千年にわたって我々は、

教授と学習は『認識』なのか『行動』なのかを論じてきた。

 これは似非(エセ)論争である。教授と学習は認識でもあり行動でもあるのだ。

 けれどもそれは別のもの───情熱でもあるのだ。

 教師は情熱から出発する。

 教育学者は、彼が学生の開眼、向上に陶酔した時、情熱が湧く。

 学生の表情に浮かぶ、学び得たことへの喜びの微笑みは、

 麻薬以上に、いや何にもまして、彼を惑溺させる中毒性物質なのである。

 この情熱こそが、教室を死に至らしめる病、

 教授と学習を決定的に阻害する唯一の条件、『教師の退屈』を防止するのだ。」

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「教師の場合には、情熱は彼の中にある。

 教育学者の場合には、学生の中にある。が、いつ如何なる場合にも、教授と学習は情熱なのである。

 生来の情熱ないしは日毎にそれへの耽溺の度を深める情熱なのである。

 教師と教育学者には、もう一つ共通点がある───両者とも、自ら責任を負うのだ。

(中略)

 真の教師、真の教育学者にとっては、出来の悪い生徒もいなければ愚かな学生も怠け者の学生もいない。

 あるのはただ、いい教師か駄目な教師かだけなのである。」

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「ポラニ家は確かに特異な一家だった。―――私の知る限り、疑いもなく最も特異な一家だった。

 そればかりか最も才能に恵まれた一家でもあった。

(中略)

 ポラニ家のそれぞれが、多大の業績をあげた。

 が、それぞれが、自分の目指した偉業を達成することができなかった。

 彼らの誰もが、社会による救済なるものを信じた。

 が、やがて社会に見切りをつけ、社会に望みを失った。」

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「社会主義は、1914年8月に起こった砲声とともに、

 社会主義大衆がプロレタリアートとして団結することを拒否し、

 そのかわりにナショナリズムと兄弟殺しの戦争を熱烈に支持した時に、死滅した。

 それは神学としてのマルクス主義の終焉ではなかった。―――神学は、信仰が終わっても生き残る。

 それは、政治勢力としての社会主義の終焉でもなかった。

 それは、夢としての、少なくともある世代全体にとっての夢としての、社会主義の終焉だった。」

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「イギリスの没落は、

 ビクトリア朝末期ないしはエドワード朝初期に始まったとするのが、今日のはやりである。

 けれどもイギリスの没落の主たる要因が、

 第一次世界大戦でイギリスの指導的グループがごっそりと死に、

 辛うじて生き残った者たちが士気を阻喪してしまった事実にあるのはまず確かである。

(中略)

 フランスでは「テクノクラト」が、知的訓練を受けた、

 エコール・ポリテクニックのような「大学校(グラン・デコル)」の卒業生たちが、

 指導者としての役割を担った。

 第二次大戦後のドイツでは、団体役員、会社の経営者、労働組合の幹部が、正統派指導者として登場した。

 ところがイギリスでは、第一次世界大戦で傷つき倒れた者のかわりがいなかった―――

 誰の権威も是認されなかったし、誰一人として責任を引き受けようとしなかったのである。」

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「おそらくは、現に私たちが望みうる最良のものではないかと思われる社会では、

 私たちは自由を維持するために代償を支払わなければならない―――分裂、分割、市場の隔離、である。

 私たちは「個人」を維持するために、葛藤、危険を伴う選択、

 多様化という代償を払わなければならないのである。

 そういった社会では、私たちはより大きな善よりもより小さな悪を目指さなければならない。」

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「このことが意味しているのは―――

 現代人にとってバール(古代セム族の神。八百万の神に似て、自然の生活力の象徴として崇拝されていた)であり、

 モーラック(古代セム族の神。礼拝の儀式として親が捧げた子を焼き殺したといわれる)でもある―――

 「社会」自体がもはや二義的なものになるかもしれないし、

 ひいては社会の組織が究極的には重要でなくなるばかりか問題でもなくなるかもしれない、ということだ。」

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「無謬の宗教」が、現に消滅しつつある「社会の時代」に二義的なものになったように。

「無謬の社会」なる概念が相変わらず幅を利かせ、

 それを探求する試みが世界を非寛容、自由の完全な喪失、

 自己破壊的戦争という大渦に巻き込まれようとしている今日、

「社会の時代」の消滅はまだ遠い将来のことのように思えるかもしれない。

 けれども、

 16世紀末から17世紀初めにかけてカトリシズムとプロテスタンティズムの新たな統合を目指した才気溢れる思想家たちの挫折が、

 50年後における「無謬の宗教の時代」の終焉の前触れだったことを思うとき、

 資本主義と社会主義を越える第3の社会を目指したポラニ一家の挫折が「無謬の社会の時代」の終焉の前触れでないとどうして言い切れよう?」

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