ホーム > Wise remark/名言/人物 > 三木清 人生論ノート1

三木清 人生論ノート1

2009年10月14日

三木清 人生論ノート2
 #三木清 人生論ノート3

#三木清の有名な作品『人生論ノート(昭和17年版)から引用させていただきました。

###

「執着する何物もないといった虚無の心では人間はなかなか死ねないのではないか。

 執着するものがあるから死にきれないということは、

 執着するものがあるから死ねるということである。

 深く執着するものがある者は、死後自分の帰って行くべきところを持っている。

 それだから死に対する準備というのは、どこまでも執着するものを作るということである。

 私に真に愛するものがあるなら、そのことが私の永生を約束する。」

 

 

 ###

 

 

「幸福について考えることはすでに一つの、おそらく最大の、

 不幸の兆しであると言われるかもしれない。

 健全な胃を持っている者が胃の存在を感じないように、

 幸福である者は幸福について考えないと言われるだろう。」

###

「しかしながら今日の人間は果たして幸福であるために幸福について考えないのであるか。

 むしろ我々の時代は人々に幸福について考える気力をさえ失わせてしまったほど不幸なのではあるまいか。

 幸福を語ることがすでに何か不道徳なことであるかのように感じられるほど

 今の世の中は不幸に満ちているのではあるまいか。」

###

「しかしながら幸福を知らない者に不幸の何であるかが理解されるであろうか。

 今日の人間もあらゆる場合にいわば本能的に幸福を求めているに相違ない。

 しかも今日の人間は自意識の過剰に苦しむとも言われている。

 そのきわめて自意識的な人間が幸福についてはほとんど考えないのである。

 これが現代の精神的状況の性格であり、これが現代人の不幸を特徴づけている。」

 

 

 ###

 

 

「幸福は肉体的快楽にあるか精神的快楽にあるか、

 活動にあるか存在にあるかというが如き問いは、

 我々をただ紛叫に引き入れるだけである。

 かような問いに対しては、そのいずれでもあると答えるのほかないであろう。

 なぜなら、人格は肉体であるとともに精神であり、

 活動であるとともに存在であるから。

 そしてかかることは人格というものが形成されるものであることを意味している。」

 

 

 ###

 

 

「節度を知らないような懐疑は真の懐疑ではないであろう。

 度を超えた懐疑は純粋に懐疑に止まっているのではなく、

 一つの哲学説としての懐疑論になっているか、

 それとも懐疑の神秘化、宗教化に陥っているのである。

 そのいずれももはや懐疑ではなく、一つの独断である。」

 

 

 ###

 

 

「懐疑は知性の徳として人間精神を浄化する。

 ちょうど泣くことが生理的に我々の感情を浄化するように。

 しかし懐疑そのものは泣くことに類するよりも笑うことに類するであろう。

 笑は動物にはない人間的な表情であるとすれば、

 懐疑と笑との間に類似が存在するのは自然である。

 笑も我々の感情を浄化することが出来る。懐疑家の表情は渋面ばかりではない。

 知性に固有な快活さを有しない懐疑は真の懐疑ではないであろう。」

 

 

 ###

 

 

「真の懐疑家はソフィストではなくソクラテスであった。

 ソクラテスは懐疑が無限の探求に他ならぬことを示した。

 その彼はまた真の悲劇家は真の喜劇家であることを示したのである。」

 

 

 ###

 

 

「論理によって懐疑が出てくるのではなく、

 懐疑から論理が求められてくるのである。

 かように論理を求めるところに知性の矜持があり、自己尊重がある。

 いわゆる論理家は公式主義者であり、独断家の一つの種類に過ぎない。」

###

「不確実なものが確実なものの基礎である。

 哲学者は自己の内に懐疑が生きている限り哲学し、物を書く。

 もとより彼は不確実なもののために働くのではない。

 ―――『人は不確実なもののために働く』、とパスカルは書いている。

 けれども正確に言うと、

 

 人は不確実なものの『ために』働くのでなく、

 むしろ不確実なもの『から』働くのである。

 

 人生がただ動くことでなくて作ることであり、

 単なる存在でなくて形成作用であり、

 またそうでなければならぬ所以である。

 そしてひとは不確実なものから働くというところから、

 あらゆる形成作用の根底に賭があると言われ得る。」

 

 

 ###

 

 

「真の懐疑家は論理を追及する。

 しかるに独断家は全く論説しないか、ただ形式的に論説するのみである。

 独断家は甚だしばしば敗北主義者、知性の敗北主義者である。

 彼は外見に表れるほど決して強くはない、

 彼は他人に対しても自己に対しても強がらねばならぬ必要を感じるほど弱いのである。」

 

 

 ###

 

 

「人は敗北主義から独断家になる。絶望と懐疑は同じでない。

 ただ知性の加わる場合にのみ絶望は懐疑に変わりうるのであるが、

 これは想像されるように容易なことではない。」

 

 

 ###

 

 

「懐疑が方法である事を理解した者であって初めて独断もまた方法であることを理解しえる。

 前の事をまず理解しないで、後のことをのみ主張するものがあるとしたら、

 彼はいまだ方法の何物であるかを理解しないものである。

 

 

 ###

 

 

「肯定が否定においてあるように、物質が精神においてあるように、

 独断は懐疑においてある。

 全ての懐疑にもかかわらず人生は確実なものである。

 なぜなら、人生は形成作用であるゆえに。

 単に在るものではなく、作られるものであるゆえに。」

 

 

 ###

 

 

「虚栄心というのは自分があるよりも以上のものであることを示そうとする人間的なパッションである。

 それは仮装に過ぎないかもしれない。

 けれども一生仮装し通した者において、

 その人の本性と仮性とを区別することは不可能に近いであろう。」

 

 

 ###

 

 

「いかにして虚栄をなくすることができるか。虚無に帰することによって。

 それとも虚無の実在性を証明することによって。

 言い換えると、創造によって。

 創造的な生活のみが虚栄を知らない。

 創造というのはフィクションを作ることである、

 フィクションの実在性を証明することである。

 

 

 ###

 

 

「名誉心と虚栄心ほど混同されやすいものはない。

 しかも両者ほど区別の必要なものはない。

 この二つのものを区別することが

 人生についての智慧の少なくとも半分であるとさえ言うことができるであろう。

 名誉心が虚栄心と誤解されることは甚だ多い、

 しかしまた名誉心はきわめて容易に虚栄心に変ずるものである。

 個々の場合について両者を区別するには良い眼を持たねばならぬ。」

 

 

 ###

 

 

「人生に対してどんなに厳格な人間も名誉心を放棄しないであろう。

 ストイックというのはむしろ名誉心と虚栄心を区別して、後者に誘惑されない者のことである。

 その区別が出来ない場合、ストイックといってもひとつの虚栄に過ぎぬ。」

 

 

 ###

 

 

「虚栄心はまず社会を対象としている。

 しかるに名誉心はまず自己を対象とする。

 虚栄心が対世間的であるのに反して、

 名誉心は自己の品位についての自覚である。」

 

 

 ###

 

 

「すべてのストイックは本質的に個人主義者である。

 彼のストイシズムが自己の品位についての自覚に基づく場合、

 彼は善き意味における個人主義者であり、

 そしてそれが虚栄の一種である場合、

 彼は悪しき意味における個人主義者に過ぎぬ。」

 

 

 ###

 

 

「名誉心も、虚栄心と同様、社会に向かっていると言われるであろう。

 しかしそれにしても、虚栄心においては相手は「世間」というもの、

 詳しくいうと甲でもなく乙でもないと同時に甲でもあり乙でもあるところの「ひと」、

 アノニムな「ひと」であるのに反して、

 名誉心においては相手は甲でありあるいは乙であり、

 それぞれの人間が個人としての独自性を失わないであるところの社会である。

 虚栄心は本質的にアノニムである。

 

 

 ###

 

 

「たとえば、名を惜しむという。名というのは抽象的なものである。

 もしそれが抽象的なものでないなら、

 そこに名誉心はなく、虚栄心があるだけである。

 いま世間の評判というものはアノニムなものである。

 したがって評判を気にすることは名誉心ではなく虚栄心に属している。」

 

 

 ###

 

 

「ヒューマニズムというのは怒を知らないことであろうか。

 そうだとしたなら、今日ヒューマニズムにどれほどの意味があるであろうか。」

 

 

 ###

 

 

「切に義人を思う。

 義人とは何か、―――怒ることを知れる者である。」

 

 

 ###

 

 

「特に人間的といわれ得る怒りは名誉心からの怒りである。

 名誉心は個人意識と不可分である。

 怒りにおいて人間は無意識的にせよ自己が個人であること、

 独立の人格であることを示そうとするのである。

 そこに怒りの倫理的意味が隠されている。」

 

 

 ###

 

 

「今日、怒りというものが曖昧になったのは、

 この社会において名誉心と虚栄心との区別が曖昧になったという事情に相応している。

 それはまたこの社会において無性格な人間が多くなったという事実を反映している。

 怒る人間は少なくとも性格的である。」

 

 

 ###

 

 

「孤独の何であるかを知っている者のみが真に怒ることを知っている。」

 

 

 ###

拍手を贈る

三木清 人生論ノート2
 #三木清 人生論ノート3

広告
%d人のブロガーが「いいね」をつけました。